ポジローぽけっと

昨日より今日、今日より明日を信じて、トライトライ

私塾のすすめ 齋藤孝 梅田望夫

維新の志士の一部(久坂玄瑞高杉晋作など)は吉田松陰の私塾で生まれた。松陰がどんなマジックを使ったかは分からないけれども、歴史を動かす志士が松陰の私塾から輩出された。松陰は先の時代を見通す眼力を教授し、志を共有した者同士(志士)が切磋琢磨できる交流の場を提供した。
そんな場が現在にあるなら、僕は私塾に是非参加したい。その気持ちから、題名に惹かれてこの本を手に取った。いろいろ心に残る発言が書かれている本だが、僕が一番「おおっ」と思ったのは、梅田さんが書いた「おわりに」の内容である。

日本社会を閉塞させる大きな原因たる「まったく同じもの」は、本書を読んでくださった読者の皆さんの外部にあって批判するものではなく、みなさんの内部に根強く存在している。そしてそれが強敵の強敵たるゆえんです。齋藤さんと私は、本書を通して、皆さんに真剣な戦いを挑んでいるのです。

この「皆さん」の内部に根強く存在している「まったく同じもの」とは何か?それは少し前に書いてある。

そこに存在するのは、「時代の変化」への鈍感さ、これまでの慣習や価値観を信じる「迷いのなさ」、社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如、「未来は創造し得る」という希望の対局にある現実前提の安定志向、昨日と今日と明日は同じだと決めつける知的怠惰と無気力と諦め、若者に対する「出る杭は打つ」的な接し方……といったものだけ。

これはまさしく挑戦だ、いや挑発というべきか。逆に言い換えてみればよく分かる。「皆さんは、時代変化に鈍感で、これまでの慣習や価値観が大きく変わることを想像しないだろう。未来は創造し得るとは思いもせず、知的怠惰に無気力に諦めている」と言っている。
僕は彼が言うような「皆さん」の中の一人でいたくない。自分の頭で考え、学び、自分なりの価値観を創造しながら生きたい。だからこそ私淑できる人から学びたいし(松陰のような)、志のベクトルが同方向の仲間(維新の志士たちのような)と議論がしたい。
そう、僕は私塾(志向性の共同体)を求めている。
追記20100915:最後の締め方が小飼弾さんっぽいのは、ご愛嬌。
pojiro the wanna be 志士

この日記兼備忘録(ブログ?)を公開しようと思ったのは、完全にこの本の影響である。