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ポジローぽけっと

昨日より今日、今日より明日を信じて、トライトライ

こちらの世界 あちらの世界 リアル ネット ウェブ進化論 梅田望夫

ウェブ進化論の「こちらの世界」と「あちらの世界」という言葉の意味がやっと理解できた気がする。「こちらの世界」には現実に僕がいて、仕事をして購買行動をして会話をして生きている。「あちらの世界」でも同様のことができる。そう想像できるかどうかが、理解のポイントであった(僕はまだ想像、なぜなら実感がないから)。(以降、こちらをリアル、あちらをネットと呼ぶ)
「ITは既存社会の枠組みの中で道具として使いこなすべき」(ウェブ進化論p.55)と「ITの進歩によってはじめて可能となる新しい仕組みを是とし、人間の側こそがそれに適応していくべき」(ウェブ進化論p.55)は、対立する態度ではないように思う。なぜならば、リアルでは活動の場をうまく利用する、活動の場に適応していくということは誰しも無自覚にしていることだからだ。リアルをネットに言い換えられるならば、すなわち「リアルもネットも人間の活動の場」であるという認識が持てるならば、二つは対立はしない。
梅田さんはネットをリアルのアナロジーを用いて考えてはいけないという趣旨のことを書いている(ウェブ進化論p.39)が、上記の認識によって僕はそうは思わなくなってきた。ネットもリアルと同じような活動の場だと思ってよい。(彼はネットとリアルでは行動障壁やタイムラグが恐ろしいほど異なるからアナロジーで考えてはいけないと言ってるんだろう)
ネットはリアルと同じであり、コミュニケーション、表現、ビジネス、志向の協同体、etcが行われる活動の場である。このように「個人レベルで思える」人間がどれだけ増え、ネット世界で活動するかが今後のウェブ進化の速度を決めるのだろうと思う。ネットで十二分に活動するにはウェブリテラシーが必要であるし、リアルとの違いを許容できる柔軟な頭を持たねばならない。
ウェブリテラシーにさらに英語が加われば、ボーダレスに活動することができる。それが最初に起きたのが、プログラマーたちのネットコミュニティーだったのか。彼らは、ウェブリテラシーは十二分、英語もなんなく使う。こう考えると、なぜプログラマーたちがネットで元気がいいか分かりやすくないかな。
リアルは少子高齢化だが、ネットは逆のことが起きているだろう(ウェブリテラシーと柔軟な頭には年齢との因果はないが、相関はあるだろう)。これからが楽しみだ。勉強しないと。
P.S.

  • 僕がウェブ進化論を読んで、村上龍の「希望の国のエクソダス」を思い浮かべたのだけれど。その理由は…
  • リアルで表現の場がないことをネットでやる。リアルで出会えない人にネットで出会う。でもリアルとネットの双方が同じ一個人の活動の場ならば匿名で活動するメリットは無いように思ってきた。両方の世界で生きようと思ったらどちらも僕自身を特定する名前が必要で、それは本名が一番いいんじゃないかと思う。本名の公開か。ちょっと理由もなく怖い。炎上しないだろうか、炎上されるほどのアクセスが無いうちは考えなくてよいか(笑)