2015年10月に読んだ本
城塞 上・中
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2002/04
- メディア: 文庫
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(鷹野と健康について)
「鷹野ほど体によいものはない」
と、家康はつねづね言い、そのことばが側近の者によってかきとめられ、「中泉古老物語」というものになってのこっている。
「そのわけは、風寒炎暑もいとわず山野を走りまわるために筋骨労働し、その結果、手足が歳にしては軽やかになる。また夜は疲労して快寝(快眠)するから、閨房にもおのずから遠ざかる」
(断る)
「それは」
と、治兵衛はおなじことをくりかえした。断りの使者というのは多弁は無用で、おなじことを百編でもくりかえすにかぎるということを、 治兵衛は心得ている。
(間諜)
(且元をたたき出す、大野修理をそのあとにすえる)
それが、勘兵衛の「構想」である。間諜とはいまもむかしも、政治情報の窃盗者では決してなく、それよりももっと底の底から政治そのものを揺らぎ変えてしまおうという大構想と大情熱のもちぬしのことかもしれない。すくなくとも勘兵衛の大阪城内における興奮はそこにあった。
(本多正信)
家康のわかいころ、三河に一向一揆という者が起こった。松平家(当時の徳川家の姓)の家臣の半分は一向宗(いまの本願寺の宗旨・浄土真宗)で、この半分が主家を脱走して一揆方につき、家康と戦い、家康をあやうく滅亡寸前に追いこんだ内乱で、このときの一揆方の煽動家が、当時鷹匠だった本多正信であった。家康によって一揆が鎮定されたあと、正信は三河を逃げ出して諸国を流浪したが、やがてもどってきて家康に詫びを入れ、帰り新参になり家康に対しては仔犬のように可愛げにふるまい、従順でありつづけた。正信は生涯、保身にきわめて用心ぶかかった。悪謀のプラン・ワーカーというのは、本来こうであろう。性来狼の性があるのにそれをおさえにおさえて一生君子のように偽装し、そのかわり主人の目的のために自分の狼の知恵を捧げる。
(僧、逆から読むと)
宗伝は、禅僧である。僧というのは、元来うその世界に生きている。念仏宗の僧たちはありもせぬ極楽を口一つで売って金にし、禅門の僧たちは数万人に一人の天才的体質者だけが悟れるというこの道での、ほとんどがその落伍者で、そのくせ悟ったという体裁だけはととのえねばならぬため、「悟り」のあとは狐が化けるようにして自分を化けさせ、演技と演出だけでこの浮世を生きている。宗伝というのは、その典型的な人物であった。
(家康にとっての学問)
ーーこういう有益な処世訓を下々にきかせれば、戦国を経て荒れすさんだ武士の心や百姓どもの心をやわらげることができる。
と、家康はみた。治世の道具としてこれほどいいものはないと思った。ひとびとの心を説教という服従の道理をもって小さくしてゆき、おのおのその分際、境涯に甘んじさせなければ、せっかくかち獲た徳川家の天下がくつがえるのである。家康は、学問をもって、それ以前倭冦ばたらきまでした日本人どもの心を変造しようとした。
ついでながらこの家康の祖法は代々うけつがれ、二百数十年かけて、ほぼ成功した。
(利害と正邪)
物事を利害で考えてゆこうという頭のはたらきは、じつに複雑な思慮や分析力を必要とするが、正邪のほうは判断も簡単で済み、しかもそれがことばであらわされるとき、短剣のようなするどさで相手に訴える。婦人たちの耳には、このほうが理解されやすかった。
(事情)
勘兵衛は自分の軍事学に照らしておもうのに、敗者にはかならず事情がある。勝つためのいくさであるのに、勝つための戦さ立てをするについて、勝つという目的とは無縁な「事情」で膳立てをつくってゆく。
(愚か=囚われること)
(淀殿は、お頭がたしかか)
とおもうのだが、べつにあほうであるといううわさはきいたことがない。要するに愚かというのは知能の鋭鈍ではなく、囚われているかどうかだということを勘兵衛はおもった。淀殿は一個の恐怖体質である。
彼女にあっては、あらゆる事象はすべて自分のなかに固定してしまっている恐怖を通してしか見ることができない。秀頼のためのみを考えすぎ、それにとらわれ、それを通してしか事象を見たり判断したり物事を決めたりすることができない。
さらには、これもとらわれのひとつだが、淀殿は秀頼という者を、よほど尊貴な存在とおもい、揺ぎもなくそうおもっているらしい。ところが世間はそれほどにはおもわぬようになっている。関ヶ原から十四年、天下の権は江戸にうつり、諸大名は徳川将軍をもって盟主とあおぎ、いまでは大阪の葦のあいだに豊臣家というものが残存しているということを忘れ去ろうとしている。が、淀殿とその侍女たちの意識群だけは孤立していたーー世間から、である。右大臣秀頼さまはあくまでも天下のぬしで、その天下を一時、家来の家康に貸してあるにすぎないという解釈が、すでに宗教的にまでなっていた。そういう超政治的な感覚世界に淀殿は住み、そこから人事万般と世情を見ている。淀殿は本来良質な頭脳をもっているのであろう。しかし人間、懸命さというものをうみだすのは頭脳であるよりもむしろ意識であった。淀殿の意識では、世の中のどういうものも正確にとらえることができない。
(徳川家康)
こういうあたりがこの謀略家の人臭いところで、かれのこの情義ぶかさにひかれてひとびとはついてきていた。もっとも人臭いというより、他人に情義ぶかいとうことじたいが、大将たるものの資質で、かれ自身、ながいあいだそのように自己教育してきた。それが、政治的効果のある場面々々でごく自然にでるように家康はなっているのである。家康にとって人情も酷薄さもすべてが政治であったが、かといって不自然でなく、かれ自身が作為しているわけでもない。そういう人間になってしまっている点、つまりかれの先蹤者である信長や秀吉があれほどの政治家でありながらなおなまな自然人であったことにひきかえ、家康はかれらのように天才でなかっただけに自分を一個の機関に育てあげ、まるで政治で作られた人間のようになってしまっていた。
(真田昌幸->幸村)
「そのほうは、才はわしよりすぐれているかもしれない。が、若くして九度山に蟄居したため世間にその閲歴を知られていない。だからこの策をもって大阪の城衆を説いても、たれもがそのほうを信用せぬ。世間のことは、要は人であるわしという男が徳川の大軍と二度戦い、二度ともやぶったということを世間は知っている。そのわしがこの策を出せば大阪の城衆も大いに悦服し、心をそろえてその策どおりにうごくだろう。妙案などはいくらでもある。しかしそれを用いる人物の信用度が、その案を成功させたりさせなかったりするのだ。そのほうではとうてい無理である。」
(家康->秀忠)
ーー汝が凡庸であるゆえに。
という、その生まれつきを責めるわけにはいかなかった。凡庸というのは天の然らしめるものであろう。当人の悪徳として責められるべきものではなく、それだけに家康は持ってゆき場のない腹立ちがつねにある。
(智能)
秀頼の智能の不幸は、そこにある。人間の智能は幼少のころから人間と自然の中でみずから生活し、体験し、観察することによって啓発されるもので、秀頼のように城内だけを天地とし、みずから生活することなく、ただ存在しているだけで衣食住のすべては他人がやってくれるという特異な環境で育ってしまえば、人交わりのできぬ人間になりはててしまうらしい。人々が言うあほうとは、そういう種類の人間を指すようである。
(囚われの淀殿)
「一個の感情である」
と、幸村はそれ以外に、淀殿は存在しない、とおもっている。秀頼と自分だけの豊臣家というものについて異常に肥大化した誇りと、その豊臣家を喪うかもしれないという異常な恐怖心という、この二つの肥大感情以外にどういう心ももっていない。つまりは化けものではあるまいかとさえ、幸村はおもっている。他の感情、たとえば人々に対する慈悲心もなければ、戦って死ぬ者への哀憐の情ももっていない。まして感情以外の理性というようなものは淀殿はもちあわせていないか、それとも固有にそれがあるにせよ、それが判断の基準として働くような仕組みには、彼女の性格はなっていない。
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