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ポジローぽけっと

昨日より今日、今日より明日を信じて、トライトライ

2016年1月に読んだ本

リスクにあなたは騙される

リスクにあなたは騙される (数理を愉しむ)

リスクにあなたは騙される (数理を愉しむ)

  • つまり、どのくらいありそうかについての「腹」の評価を高めるのは、単に想像するというこういではなく、想像するのがいかに容易かなのだ。想像するのが容易であれば、「腹」の評価は上がる。しかし、想像するのが困難であれば、それだけで「腹」はあまりありそうにないと感じるだろう。

    想像するという行為がこれほど強く思考に影響を及ぼしうるということは、少し意外かもしれないが、様々な状況--治療からプロスポーツまで--で想像は実用的な手段として用いられており、その効果は有名なプラシーボ効果と全く同じくらい実際のものである。想像力は強力である。宝くじ会社やカジノの広告が勝っているところを想像するように誘うとき--ある宝くじのスローガンは「ちょっと想像してみてください」である--私たちを白昼夢に誘う以上のことをしているのだ。どのくらい大当たりしそうかについての直感を元気づけさせようとしているのである。これは、金を賭けさせる非常に優れた方法である。

    「ちょっと」想像するだけなどできないのである。

  • 真実とともに、冷笑主義は信用を危うくする。そして、信用が危うくなると危険な事態に陥る可能性がある。つまり、心配しなくていいと言ってくれる人物がかかりつけの医師かタバコ会社のスポークスマンかが非常に重要だ。また、賢い人間はいつの時代も知っていたことだが、信用は築くのが難しく、容易に失われるという研究もある。だから、信用は肝心である。

    しかし、信用は急速に失われつつある。現代のほとんどの国で様々な権威に対する世間の信用が長期にわたって低下していることを政治学者が見いだしている。こういった状況で危険なのは、懐疑主義と冷笑主義を隔てている一線を踏み越えてしまうことである。専門知識に対する然るべき尊敬が失われると、世間は科学知識をグーグルやインターネットのチャットルームに求めるはめになり、冷笑家の冷笑が、人を思考停止状態に陥れる根拠のない恐怖に変わるかもしれない。そんな末期的状態が、米国や英国、その他の場所で拡大している反ワクチン運動に見られる。反ワクチン活動家は、あらゆる権威への不信に煽られて、子どもにワクチンを摂取することの危険について強く抗議し(架空の危険もあれば、現実に存在するがめったにない危険もある)ワクチンの莫大な恩恵を無視している。その恩恵は、こういった運動が拡大し続ければ失われかねない。

  • ピーター・ワッソンは確証バイアスという用語を作り出し、彼の発見は無数の研究によって支持されてきた。もっとも、それは発見と言うよりはむしろ、思慮深い観察者が昔から言及してきた傾向の証明である。ほぼ四〇〇年前、フランシス・ベーコン卿は次のように書いた。「人間の知性は(世間に受け入れられた見解であるからであれ、その見解自体に賛成しているからであれ)いったん一つの見解を受け入れてしまうと、その見解を支持しその見解に賛同するあらゆるものを引き寄せる。そして、より多くの、より重要性の高い事実が、その見解と逆の立場に見つかっても、なお、そういった事実を無視したり見下したりするか、さもなければ、何か違いを持ち出して、脇に追いやったり拒絶したりする。こうして、この度を超えた有害な決めつけによって、元からある結論の権威が無傷のままでいられるようにする……。」この金言は、毎日無数の評論家やブロガーによって正しいと証明されている。

  • リスクを相対的にとらえるさらに簡単な方法は、前に西ナイルウイルスの死亡者数と食物による窒息死の数を並べて比較したように、リスクをほかのリスクと比較することである。

  • しかし、史上最も安全な人間がベッドの下に隠れるようになっているのには、ずっと多くの理由がある。その一つに、どこにでもある恐怖の売り込みがある。政治家と企業、活動家、NGOは票と売り上げ、寄付、支援、会員を欲しており、怪我や病気、死について世間が心配するように仕向けることが、目的を達成する最も効果的な方法であることを知っている。そのため、私たちは、心配するように注意深くこしらえられたメッセージに日々攻め立てられている。その心配が理にかなったものかどうか、正確で完全な事実の十分な考慮に基づいたものかどうかは、そういったメッセージを大量生み出す者たちの主要な関心事ではない。重要なのは目的である。恐怖は戦術に過ぎない。そして、改竄された数字や誤解を招く言葉、感情に訴えるイメージ、理屈に合わない結論によって、より効果的に目的を達成できる(実際にそうなることが多い)なら、それを使おうということになる。

  • 「頭」と「腹」は頻繁に意見が一致する。そうなったときは、自らの判断に自身が持てる。しかし、「頭」があることを言い、「腹」が別のこと言うこともあるだろう。そのときは、用心すべき理由がある。私たちが今日直面するリスクのほとんどの対処するに当たって、素早い、最終的な判断は必要ない。従って、「頭」と「腹」の意見が一致しないとき、判断を遅らせるべきだ。もっと多くの情報を集めるといい。もう少し考えるといい。それでもまだ「頭」と「腹」の意見が一致しないなら、ごくりとつばを飲み込んで、「頭」に従って欲しい。

    九月一一日のテロ攻撃のあと、多くの米国人がそれと反対のことをし、飛行機に乗るのをやめて車を利用することを選んだ。この過ちによって一五〇〇以上の人命が失われた。「腹」より「頭」を重視するのは簡単にできることではないが、そうすることによって不安が和らぎ、人命が救われることを考えれば、努力する値打ちがある。